偶然性を装いつつも、量産可能な凸凹和紙織物「根」
こんにちは。
今日は、凸凹している和紙織物を、海の京都と呼ばれるエリア、京丹後市にある民谷織物さん(海まで車で5分ほど、いいなー)と一緒に作ったので、それについて書きます。
素材はシルクと手漉き和紙で、制作は機械半分人の手半分でできています。
丹後地方は1300年以上に渡る絹織物の伝統産地としての歴史をもち、日本の伝統文化である着物を支えてきた地です。
その中でも、民谷織物さんは螺鈿という貝殻を織物にしてしまう特殊でものすごい技術をお持ちで、変わっているものやおもしろく美しい織物がたくさんあります。きっと素材が好きな方は1日居ても飽きないでしょう。
さて、民谷さんとの出会いのきっかけは、今年1月のパリでの展示会「MAISON & OBJET」への出展でした。共通の知人がいたり、人伝で話を聞いていたり、もうおじいさんですが仲良しの西陣の職人さんと密接な繋がりがあったり、必然であり巡り巡って出会わせていただけたご縁でした。
世界の広さと狭さを同時に感じた展示会でした。そんな民谷さんと、僕は勝手に意気投合していると思い込んで、和紙織物の相談をします。
というのも、昨年とあるシューズブランドA社と私たちの擬革紙を使ってスニーカー作りに取り組んでいました。ロゴ部分だけ和紙を使うのではあまりに普通でおもしろくないし、どこの誰でもできるし、どうせやるなら途方もない方が結果身になると思い、靴底以外をすべて擬革紙で作る挑戦をしていました。
結局、2ndサンプルまで行きましたが、どうしても破れる箇所が発生しこのプロジェクトは流れてしまいました。
初めて知りましたが、靴造りの工程に、かかと部分のつり込みという作業があるのですが、ものすごい力で引っ張るので負荷が相当なものらしく、破れが出たのです。
紙なので仕方ないっちゃ仕方ないし、普通に考えて無謀すぎたかもなーとも思いましたが、やっぱり悔しいのです。紙だからできないとか、やっぱり悔しいのです。その時の悔しさから、どうすればいいのか考えた結果、織物であれば伸び縮みする遊び(ゆとり)があるから、織物にすればいいのではないか?と考えたわけです。
そんな時に民谷さんとの巡り巡った出会いがあり、コラボすることになりました。
新しいものが生まれるまで、京丹後の美味しい塩ラーメン(僕の中では日本一です、スープが絶妙!)を食べながら、NO!とは言わない2人が、あーだこーだ言いながら議論したり、とっても楽しい時間でした!
さて、10月の展示会でお披露目するため、どんな織物を作ろうかなと焦りつつまだ決めかねていた時、8月に家族旅行で愛知県新城市の鳳来寺山に行きました。
そこで、傘杉という日本一高いと言われている杉の大木に出会いました。樹齢は800年を越えるそうで、高さも60mもあるそうです。大大大先輩!!!
その傘杉の前に立った瞬間、「この堂々たる幹を作りたい!」と思い立ちました。
あの力強く、でも寛容で、ドッシリした佇まい。カッコいいなぁと思いました。というかただの憧れです。
それから傘杉のような和紙織物を作る作業に入るのですが、ただ単に和紙に独特な織りをしても何にもおもしろくない。
ただ単に和紙に独特な織りをするだけならば別に僕は要らないじゃないかとなり、、。どうすればあの時の感動を表現できるのだろうかと色々思案した結果、和紙をテキトーにペタペタ貼って、あり得ないくらいに厚みに強弱を付けてみよう。どんどん幹が育つイメージで。
そして、和紙なのか何なのかよく分からない物体を民谷さんに渡し、ものすごく難しく特殊なオリジナルの織りをしていただきました。
あまりに難しいので、織機任せにはできず、人の手の助けがないとできませんでした。相当分厚かったですからね。民谷織物の皆様、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
そして、織り上がったものを何も考えず手でくしゃグシャに揉んでいます。
なぜかと言うと、織り上がりがキレイすぎるから。あまりにキレイすぎて和紙ではなく、完全に織物としてしか認識できなかったのです、自分ですら。
これでは完成度が高すぎる(民谷織物さんのレベルが高すぎる)、、、そう思いました。織物としてはそれで良いのかもしれませんが、作品としてはダメだと思いました。隙がないというか。。。
で、如何にもこうにもできず、悩んだ挙句の最終手段としてイチカバチか、くしゃグシャにしてキレイだった織物の組織を崩しました(もし崩してイマイチであれば一巻の終わりなのです)。
すると、崩したことで表情が豊かになり、躍動感というか生命感が生まれました。そして、僕が傘杉の前に立ったあの時の感動を呼び覚ましてくれたのです。自己満足と言えばそれまでですが(僕には大事なことだったのです)、、。
自分の違和感が少しでも残る仕事は、なんかスッキリしないんです。自分にウソをついても他の誰にもバレないけれど、自分にはバレてるのでダメだと思うのです。
もうこれでいいやん!という自分も出てきますが、自分から逃げずに違和感と実直に向き合って闘います。そして、天から答えが降りてきた時は、思わず「やった!これや!」と、周りの方々の迷惑にならないトーンで叫びます。涙しそうになる時もあります(歳を重ねて涙もろくなりまして…)。
良いか悪いかは別として、そういうモノづくりの姿勢をこれからも持ち続けたいです。自分に素直に正直に真っ直ぐに。。。
そんなこんなで生まれた和紙織物は、自分たちの作品だから当たり前ですが、本当に美しいなと思います。
作品名に「根(こん)」と付けたのは、傘杉の前に立ち、ずーっと上を見上げていてフと根元に目をやると、今にも動き出しそうなものすごい根が大地に張り巡らされています。
その時思ったのです。
「そうか、当たり前だけど、根っこ(根源)がしっかりしているから、歩み続けられるのか、目に見える部分ばかりに囚われていては、大切なことを見過ごしてしまうな」と。
つまり、「焦らず慌てず、ゆっくりでいいから弛(たゆ)まず自分のペースで一歩ずつ歩めばいいんや」と。
僕は、ついつい日々の忙しさに流されたり見失ったりしてしまいますが、傘杉のお陰で、色々大切にしていることを改めて思い出させていただきました。
そんな大好きな作品、生きている和紙織物「根」のお話でした。最後までお付き合いいただきありがとうございました。