懐かしい話と楽しみな話
皆様こんにちは。
今日は和紙アクセサリーではなく、プライベートのお話を。
今、実家を建て直しのため解体しています。なので荷物の選別がされました。その際、屋根裏から小さい頃遊んでいたオモチャが出てきたので、懐かしさとレアな物がないか見るため一旦アトリエに持って帰りました。
車やミニ四駆、ガンダムなどのプラモデル、めんこや武器系が多い。ビックリマンシールもかなり集めていたなぁ。残念ながらビックリマンシールは見当たりませんでした。レアなものから普通のものまで、多分何百枚と持っていたので、高く売れたやろうなぁ。
それにしても男って感じのオモチャばかりですね。
一方、娘のオモチャはキラキラやピンク、プリンセス系が多い。
こういうのは人の性質なのでしょうか。
記憶もまた不思議ですね。
これらのオモチャも見なければ忘れたままか、一生思い出すことすらなかったかもしれない物が、見た瞬間にふわっと思い出しあの頃に戻される。
懐かしいなぁ。
今もですが、幼い頃から僕は人と群れるのが好きじゃなかったなぁ。自分のペースというか自分の好きなように遊んでいた記憶があります。
このドラえもんはでかい石に書いているのですが、どこかに旅行に行った際、自然の中で見つけた石らしいです。こんな丸っこい石があるのですね。
脳はどんなシステムなのでしょうか。
脳のOSは優秀なのかな。
バックアップはどのように取るのかな。
現在と未来においてはアップデートは常にしているものの、
過去に関してのアップデートはいつしたかな?
いや、僕はした覚えがない。
こういうのは人知の及ばない域でしょうか。
人知を超えることは可能なのでしょうか。
昔は映画の中だけだと思っていた世界が、今はもう目前に迫っています。
人間はどこに向かっていくのかな。
尽きない探究心と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、地球のため、人のためと言いながらやってることは真逆であったり。
僕は便利さと喜びは比例でないと思っているので、世界を牽引されている人たちの動向に興味があります。
個人的に先端技術も大事だけど、日本は文化や道徳で世界と勝負すればいいのにって思っています。それらは日本以上の国はないと思うからです。
谷崎潤一郎さんの言葉に「かくの如き嗜好の相違は何に依って生じたのであろうか。案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自ずからなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って已まない」とありますが、現代の日本人にもよく表れていると思います。
これが良いのか悪いのかは答えはないと思いますが、日本独自の感性が世界から評価されていることは確かだし、自信を持ってもっと堂々と打ち出せばいいのにと思っています。
またタイミングが来たらブログでお知らせしますが、
僕は和紙の加工を専門とする家業を継ぐことにしました。
うちのアトリエ近くの一軒家(見た目はただの家ですが、築100年ほどのおんぼろ京町屋)に移転し、事業を統合します。
現在、改装中です。
なので、最近めちゃくちゃバタバタしてます。
僕が生まれて大人になるのを支えてくれた家業を引き継ぎ、発展のためのチャンスが訪れるのをずーっと待ってました。
今までも今も多分これからも、とても楽しみだし楽しいです。